父島(夜明道路周辺)

    

    

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夜明道路は二見港の奥にある漁港に面した奥村集落から、夜明山・中央山など父島中央の尾根の東側を通り、扇浦、小港方面へ通じる山岳道路である。

これは奥村の二見湾岸道路から夜明道路への分岐点。

     

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少し行くと右に海軍墓地がある。

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急な坂をつづら折りに上っていく。奥村集落が眼下に見える。左に見える急なガケは乳頭山。

    

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かなり高度を上げて父島を南北に貫く分水嶺まで上りきると長崎展望台がある。

長崎展望台への入口には戦時中の遺構と思われる石積みがあった。

ここから少しばかり歩くと展望台へ出る。

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長崎展望台からの眺め。なかなか雄大な眺めである。兄島瀬戸とその向こうに人が定住したことのない兄島がある。 

   

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 さらに少し行くと道路がループ状に上りになっており、その交差下部はトンネルになっている。

トンネル入口手前に枕状溶岩が露頭している。ここは道路建設のため平滑に掘削されて見やすくなっていて説明看板もある。

溶岩が海中に噴出し急激に冷やされてできたものとのこと。枕と枕の間の黒色の部分はガラス質とのこと。

    

    

さらに少し行くと旭平展望台がある。

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旭平展望台からの眺め。兄島の全貌を見ることができる。

   

   

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国立天文台VERA小笠原観測局の大型電波望遠鏡。ここを含めて日本に4箇所設置されたものが一組となって超高精度な観測が可能とのこと。

http://www.ogasawara-channel.com/sightseeing/tenmon.htm

    

    

    

   その先はちょっと開けた場所に出る。ここが夜明山である。

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まだ新しい石碑。夜明山の由来らしき言葉が刻まれている。

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戦時中の海軍通信隊送信所の廃墟が残る。爆撃激化により日本軍はここを放棄し通信業務は以降地下壕で行ったとのこと。

現在は、付近に海上自衛隊の通信施設があり、手前の広場む含めて現在は立ち入り禁止となっている。

戦時中、ブッシュ海軍中尉(米国第41代大統領。現職ブッシュ第43代大統領の父)も爆撃機のパイロットとして小笠原攻撃に参加していた。

ブッシュ中尉はこれら夜明山一帯の通信施設を爆撃しいくつかを命中させたが、その際日本軍の対空砲火により被弾した。

パラシュートで東の海上に逃れて米潜水艦に救助されたが残る2人の搭乗員は墜落死したとのこと。

(参考サイト)

http://www.ogpress.com/2p/topix/A-6busyu3.html

http://www.ogpress.com/2p/topix/A-6busyu5.html

http://www.passion-web.com/passion/akaba176.html

http://www.warbirds.jp/ansq/12/A2003022.html

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首無し尊徳像。かつて大村尋常小学校にあったものを戦時中に移しものだが、占領中の米軍が首を持ち去ったと言われている。

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夜明山から東へ分岐する砂利道を数百m行くと初寝浦展望台に行き当たる。ここから初寝浦がはるか眼下に見渡せる。

初寝浦展望台の背後には戦時中のコンクリート製構造物が残る。規模は小さい。内壁も外壁も落書きだらけである。

内部には打ち捨てられたドラムセット。それほど古くはないと思うが近所迷惑を考えて島の若者がここでバンド練習をしていたのだろう。

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小さなきれいな花だと思って撮った。後で知ったが繁殖力の強い困り者の外来種らしい。

   

   

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さて、次にここから夜明山ピークへ山道を上る。この道は頂上少し手前の都の防災無線施設へのメンテ通路となっているためでもある。

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上り口

  

歩いてすぐ右側に壕口があった。少しだけ入ってみた。

小型懐中電灯を持ってはいたが目が慣れないこともあり全く見えなかったのでちょっと行ってすぐ引き返した。

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さらに少し行って別の壕口2つ。この付近に壕口が一体どれだけあるのだろうか。

夜明山一帯には海軍、陸軍の両方の壕があるとのこと。

   

   

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さて、防災無線塔を過ぎて更に少し上って山頂に着いた。

山頂には銃眼が口を開くトーチカがある。

トーチカの天井部外側には金属プレート状の慰霊碑が埋め込んであった。

「慰霊碑 第百九師団高射砲隊戦没者 夜明会 昭和四十六年五月」と刻まれている。

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さて、山頂ピークの少し下に結構な規模の壕がある。陸軍109師団高射砲隊の陣地跡である。

参考  小笠原戦跡研究所

    父島の戦争遺跡

    こだわりの小笠原ガイド

    

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入口の前に転がる空きビン。壕から回収されたものだろうか?

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これが壕口。内部の規模に対して入口は大きくはない。一人で入っていくのはいろんな意味で勇気がいる。

が、単なる物見遊山でないことを自ら言い聞かせ、一礼してから小さな懐中電灯一つを頼りに入って行った。

ストロボを炊いているから明るく見えるが実際は真っ暗である。

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内部は入口と違いまあまあ広い。写真のとおりすぐT字路に行き当たって左右に分かれる。

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T字路を右に数十m行くと壕が終わって壕口に出る。壕口付近に何かの車輪が4つほどあった。

探照灯や大砲など普段壕にしまっていて使うときだけ引き出す方式のものもあるようなので、何かそういうものの車輪なのか。

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戻ってさっきのT字路を左へ行くといくつか枝分かれしており、そのうち1つに朽ち果てた高射砲の砲身が残っていた。

そばには重機関銃(?)のようなものも。

     

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その他内部。鉄扉などが残る壕口もある。

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別な高射砲だがここは水没している。

     

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下へ急斜面を降りる狭い壕もあったがさすがにここは下りて行く勇気が無かった。

防災無線施設の側に見つけた壕口(下写真)。上の壕の出口であるのかも知れない。

こういった戦争遺跡を保存しようという動きは官民で起きているが現段階では放置という状況である。

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さて、山頂付近を後にし元来た道を下っていく。すると上る時に気付かなかったが本道から少し外れた道の先に別な壕口があって大砲があった。

歩兵連隊の四一式山砲(41は明治41年の意)というものらしい。

現在はこの付近は林で見通しが効かないが、地形上は東海上を見下ろす位置である。

当時は一部林を切り開いていたのだろうか。

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開戦当初から日本軍は小笠原の要塞化を進めていたので壕・地下陣地・トーチカ・砲台などが島の至る所にあるらしい。

そのうちでも夜明山は通信機能を受け持つ部分でもあり重要な場所であったようだ。

物資でも通信でも小笠原は硫黄島と本土を結ぶ中継点であったでのある。

   小笠原では米軍の上陸は無いものの連日激しい空襲が行われていた。

が小笠原での戦没者は多くが極度の食料不足による餓死や病没であったとのことである。

いずれにせよ凄惨な戦場であったと言える。

戦争末期には制海権を握る米軍により日本軍の輸送船は多くが目的地に到達できず途中で撃沈されていたのである。

   

   

さて、夜明山を後にし少し南へ夜明け道路を行くと中央山上り口に到着する。

ここから山頂まで歩いて10分程度である。

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中央山山頂319m。父島で二番目に高い山である。

付近には錆びた円形架台が残る。電波探信儀の台座跡とのこと。

     

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必殺360度パノラマ写真。右端と左端の下部に夜明道路が見える。中央少し左が二見港。

     

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二見港方面の眺め。

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南に躑躅(つつじ)山のピークの向こうに母島を遠望する。(見えにくいが)

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東の海。左端に兄島、中央に東島が見える。

    

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さっきの電波探信儀の部品の一部か? 少し離れた場所に不自然に打ち捨てられている。

   

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中央山頂上で見た夕陽

   

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夜明道路から見た中央山と山頂展望台。(南側から見る)

   

   

   

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中央山から更に南下するとグリーンペペの名所である長谷に至る。

ここから夜明道路から巽道路が分岐する。

巽道路はほんの数百mで行き止まりになる。

ここから東海岸・中海岸・西海岸など秘境とも言える海岸や躑躅山、赤旗山などへ至る道無き道もあるようだが、そこまでする根性も時間も無かった。

先客のバイクが2台止まっていた。どこまで行ったのだろうか?

よく晴れた日、ここ付近から見た東の海はとても青くてきれいだった。

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高度をぐんぐん下げて夜明道路も終わり。扇浦と小港を結ぶ道路で終点となる。

   

   

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