母島(南部) |
沖港から南部へ向かう途中の風景
南部の車道の終点。ここから蓬莱根や南崎へは遊歩道を歩いて行く。起伏は少なく比較的楽に行ける。
蓮が栽培されていたとされる蓮池。今は干上がっている。
途中の風景
すり鉢展望台。すり鉢状に崩落して赤土がむき出しになっている。
島の南端の小富士(標高86m)に上ることにした。
何か戦時中の構造物の基礎?
だいぶ上って途中の風景
小富士の山頂部。眺めがとてもよい。
もう日が傾きかけてきた。海中公園に指定されている平島付近を含む多くの島が見える。
姪島(左)、妹島(右)
姉島(左)、平島(右))
南崎のビーチ
山頂付近には小規模な高射砲か機関砲らしきものの台座が残る。
山頂から北を見たところ
小富士の中腹を貫く大規模な地下陣地が残る。南崎海面砲台という海軍砲台である。
ここは主に敵艦船を攻撃するための大砲の砲身も残る。
入るとまっ直に山を貫く長い通路と右への分岐がある。
まず正面への通路を行く。左手の分岐部および突き当たりに1門ずつ大砲が残る。
ここにある2門の大砲は安式砲(英国アームストロング社製40口径15センチ砲)と呼ばれる。
開戦当初は沖港付近静沢の砲台に設置されていたものを後にここに移設したとのことである。
(出展:母島観光協会の静沢の森遊歩道パンフ)
(参考:母島の戦跡を巡る)
部屋は円形で、分厚いコンクリートで強固に固められている。
外から見たところ。小さく見えるが開口部の高さは大人が少しかがんで通れるほどもある。
こちらは通路突き当たりにあるもう1門の安式砲
そこから突き当たり部から長い通路を振り返った見たところ。
こちらは別の分岐部。見張り台か機関銃用の銃眼だろうか。
入口から右へ行った先にもかなり大きな開口部があった。ここは真正面に南崎の浜を見下ろす位置であった。
そこから後ろを振り返ったところ
今は静寂に包まれ想像がつきにくいが、かつては米軍の激しい空襲と極度の食料不足で常に死と隣り合わせの惨劇の舞台であったのだ。
南崎のビーチへ下りた。そこから見た小富士。完全に日が落ちかけて山が赤く染まってきていた。
さきほどの大きな開口部らしきものが高い位置に見える。
海面からそれほど高くない位置にも2つほどトーチカ開口部が見えた。どこから中へ入るのかはわからないが。
南崎のビーチ
来た道を戻って車道終点に止めた原チャリのところに戻ってきた。
新ヘリポート
向島方面の夕景
とっぷりと日も暮れた