5月 1日(木)(7日目)コジャイケ
9時ごろ起きたらちょうどおばあさんも起きるころだった。
おばあさんは昨日の機嫌悪いのがウソのように人が良くなっていた。
小さなダイニングで、パン、バター、ジャム、スライスチーズの欧米風朝食を食べる。おばあさんも少し離れて別のテーブルで同じものを食べている。
2階もあるのだが人の気配はしないし、どうやら一人暮らしのようだ。
テーブルクロスを見て驚いた。そこには英語で「Japanese Dishes(日本料理)」と書かれており、小さなお椀もの料理がチマチマと4点描かれていた。
勘違いも甚だしい。日本人は小さなお椀に入った汁物の料理ばかりたくさん食べていると思って描かれている。
しかし一体どこの国の人間が描いたんだ?
朝食を食べたらもう9時半近かった。実は昨晩「明日の朝食は何時か?」と聞かれたので8時と答えたら「9時にしてくれ」と言われたのである。寒い地方は朝が遅い。
1日1本だけの長距離バスが早朝に出るというケースも考えられるので、早くバスターミナルに行きたかった。
食べたあと、昨晩浴び損ねたシャワーも我慢して早々に身支度を整えお金を払う。6000ペソ、たったの1100円弱である。
その時おばあさんが「これからどうするのか?」みたいな身振りをしたので「コモドロ・リバダビア」と言うと「今日はバスは無い、だから今晩もここへ戻っておいで」というようなことを盛んに身振りで訴えている。
・・バスが無いとは? 昨日の船内の父親も同じことを言ってた。
太平洋岸のコモドロが無理ならそのままアルゼンチン中央部を北上してバリ・ローチェへ行くしかないだろうが。
ともかくバスターミナルへ行こう。
ゲストハウスの前の道から北側を見たところ
外に出て驚いた。この田舎町がなんと素晴らしい風景の中に囲まれているのだ! かなり感動した。
しかもここは少し高台になってこの田舎町に一部が見渡せるのだ。
チリ富士あたりの風景やフィヨルドも確かにきれいだと感じたが今ひとつ大自然の実感が無かった。
”地球の裏側まで来たんだからもっと素晴らしい風景が見れてもいいはず”などとわけのわからない理屈が頭にあった。
だがここへ来て初めてそれを感じることができた。正確には大自然というより最果て感なのかも知れないが。
感動しながら歩き出した。
左の赤い建物が自分が泊まったゲストハウス。
ところで実はこの町の情報が全く無いのである。歩き方には「コジャイケから所要9時間でコモドロ・リバダビア行きのバスがある」との一言だけ。
人に尋ねようにも緯度の高いこの地方の秋は朝が遅く誰も人がいない。
やっとトラックの出発準備をしている2人組みのおっちゃんを見つけて聞いてみた。
なんと1人は少しだけ英語ができた。この町にはバスターミナルが4つあると言った上で「これからどこへ行く?」と聞いてきたのでコモドロと答えたらもう一人と相談して自分のメモに「Turi Bus」と書いて大体の方角を教えてくれた。このバス会社がコモドロ行きを運行しているのだろう。
東へ歩きながら後ろを振り返る。向こうは西。遠くにターミナルを訪ねたトラックが見える。
南側には切り立った岩山があった。
途中で左に曲がって北へ進む。
さて、1kmくらい歩いたろうか。あと距離がどれくらいあるかわからないし自分で見つけるのに苦労するかも知れないと思っていたら、たまたまタクシーが通りかかったので止めて乗ってさっきのメモを見せた。
バス乗り場まではほんの数分だった。初乗り1000ペソのタクシーだったと思う。
さて、着いたところはターミナルというより結構大きな通りに面した「Turi Bus」のオフィスだった。
・・だが扉が閉まっているのだ。やはり本当に今日はバスが無いのか!?
閉まった扉の窓ごしに時刻表が見えた。午前(10:30か11:00ごろ発だったと思う)にコモドロ行きバス、夕方にバリ・ローチェ行きバスが1日1本ずつのようだ。特に曜日は書いてないようなので毎日だろう。・・なんで閉まってるんだ!?
ここで自分はやっと気が付いた。
今日はメーデーだ! 祭日であることはまあわかっていた。
しかしただの祭日とは違いメーデーは働かない日なのだ。ヤラレタ!
すぐ隣が小さな雑貨屋で幸い開いていたのでそこの人になんとかジェスチャーで今日バスが本当に無いのか聞いてみたら「無い」とのこと。
メーデーだからと言ってバスまで休むなよ。
しかし・・3日20:40サンチアゴ発の飛行機に乗らないといけないのである!
明日5月2日の午前発コモドロ行きに乗ってもコモドロ到着は2日の夜になる。コモドロはアルゼンチンなのでサンチアゴ直行の飛行機は無く、3日の朝から一旦ブエノスアイレスに飛び、すぐに乗り換えて19:00までにサンチアゴに到着できるか? すごいアクロバットである。
飛行機の乗り継ぎが良くても空席が無いとアウトだ。飛行機代もかさむ上にコモドロに行く意味がほとんど無い。夜の大西洋を見るだけだ。
では2日夕方発のバリ・ローチェ行きはどうか・・最低12時間かかるのと思うので3日朝に着くか。バリローチェもアルゼンチンなのでサンチアゴ直行の飛行機は無い。
ここからチリのプエルト・モンまでバスが7時間くらいで着くのは15時くらいか・・それからサンチアゴ行きの飛行機に乗ればギリギリ大丈夫かも。
だが、バリローチェ〜モンのバスもモン〜サンチアゴの飛行機も便数はそれほど無いと聞いている。これもアクロバットだ。
そしてもう1つの選択。それは昨晩着いたモンからのフェリーにチャカブーコからまた乗ってモンに戻ること。
・・・だが何曜日にチャカブーコを出るんだろう。
最短で今日の夕方出たとしたら2日の深夜にはモンに着けるから3日朝のバスに乗ればサンチアゴに夕方までには着ける。
だが今日でなかったらアウトだ。・・それに来た方法で戻るのはなんとも脳が無い。
かなりパニックになりながら必死で考えた。こういう時一人というのはとても心細い。
そして、何とか導いた結論・・・まずこの町の旅行会社を探して相談する。旅行会社ならバス・船・飛行機の情報があるだろうし空席確認も可能だ。
それがダメだった場合・・最後の手段、”バリ・ローチェまでヒッチハイク”である。
これが最大限のアイデアだった。
いろいろ考えていると今日のコモドロ行きバスの時間近くになった。だがオフィス前にはバス会社職員も客も誰も来ない。やはり運休なのは間違い無い。
バス会社オフィス前の大通りと交差する通り。ここに人気の無いコモドロ行きバスが止まっていた。・・いつもならそろそろ発進なんだろうが。
これがバス会社前の大通り。車の往来はとても少なかった。これもメーデーのせいか?
大通りと交差する通り。
腹を決めて大通り沿いに西へ歩いていく。途中で会った人に「セントロ(町の中心部)?」と聞いて歩いた。
北の方角。向こうには山が壁のようにそそり立りふもと部はなだらかな高原状になっている。きれいだ。
南には険しい岩山。
大通り沿いの墓地
大通りを西へ下っていく。ひくい方がセントロのようだ。まあ普通ひくい所が中心街だろうが。
通り沿いのモニュメント。
ロス・ラゴス大学コジャイケキャンパスと書いてある。
本当にきれいな町だと思った。人も車も少ない。
通りの中央にある公園。昔の遺物が並べてあった。
通りを下りきって少し左へ入るとやっとこの町の中心付近らしい商店が数店舗ある通りに来た。旅行会社発見!
・・だが閉まっていた。もう11時も近い。まだ開店していないだけとはとても思えなかった。商店も全部休むのか・・・
とても失望した。
これが中心街かな。だが店舗もまばらな上にみな閉まっている。他の旅行会社を探しても無駄だろう。
ヒッチハイクの決心をした。
時間があったらゆっくり撮ってみたい町だと思った。
ところで腹が減っていたがレストランはおろか商店さえ発見できなかった。がやっとガソリンスタンドに併設するコンビニを発見した。
ここのミニカウンターでホットドッグなど食い、それからかなりたくさんの食料(予備ホットドッグ、クッキー類、あめなど)と飲み物を買い込んだ。
ヒッチのための背水の陣である。
それから店員に「コモドロはどっちか?」聞いた。街中でいきなりアルゼンチンの地名を言ってヒッチなどできるわけが無い。
コモドロ方面の道を少し行って町外れあたりで長距離車をターゲットにするのである。
町外れに行かないと近距離車率が高くて無駄である。
これが自分がかつてアルジェリアでのヒッチ経験から得た最大限のノウハウである。
ところで店員から聞いたコモドロ行きの道は、なんとさっき歩いてきた大通りであった。
まあ考えてみたらコモドロ行きの道路上にコモドロ行きバスオフィスがあるのは自然なことなのだが。
テクテクと来た方面へ戻っていく。・・いかん、いつの間にか11時半ころになってるぞ。
さっきの公園。羊飼いのモニュメントがあった。田舎町でも過去の遺物やモニュメントがちゃんとあるところがますます気に入った。
さっきは下りだったが今度はのぼりである。振り返ったところ。
だいぶ歩いてやっとバスオフィスに戻ってきた。まだしばらく町並みが続く。
町外れまでタクシーに乗ってもいいのだが運転手にどう伝えたらいいのか面倒なので歩いているのである。
結構歩いてきた。後ろを振り返ったところ。
上りきって小さな峠になってやっと町が途切れた。峠からもう1度振り返ってコジャイケの町に別れを告げた。さらば美しい田舎町。
なんともきれいな谷間の風景。
反対側がベッドタウン。コモドロ行き道路を挟んで反対側はこんなのどかな牧場風景。
反対側のベッドタウン。同じような新しい家がたくさん並んでいる。
ニュージーランドでもこういう風景だった。
ベッドタウンも過ぎたあたり。ここへ来るまでに何台かの車に手を上げたが、みな「自分はすぐそこまで行くだけだから」というような素振りをして通りすぎてしまうであった。
自分の希望としては乗用車よりピックアップトラックかトラックがよかった。乗用車では言葉も通じないので窮屈だからだ。
短い距離なら何とかなるが、バリ・ローチェまで600〜700kmくらいもあるのだ。
ピックアップトラックの荷台なら気楽やし景色も見れて開放感抜群や。
しかし一体何回乗り継いだらローチェへたどり着くんやろう? コモドロへ行く道(東へ)は途中でアルゼンチン西部を南北に走る道と交差するからまずその交差点まで行かないと(そこまで100KM強)
・・それから北へ向かう車を探すのだ。あわ良くばアルゼンチン側ではバスも走ってるかも知らんが・・・
しかし、すでに12時ごろになっているので明るいうちにローチェに着くのは絶対無理だ。
夕方暗くなった時点で何をしているやろう。その時間帯でも走っている長距離トラックもいるやろうか。途中で降ろされて宿泊する必要が生じたらどうしようか。
少なくとも歩き方の地図では途中に町などひとつも載っていなかった。泊まれる所などあるのか?
しかもバリ・ローチェへ向かう南北道は未舗装のようだ。
それに金は足りるか?
この時点でのペソ・ドル合わせて現金は確か1万5千円ちょっとだったと思う。町が無いなら銀行も無いだろう。
1時間くらい載せてもらうだけなら”1食分”くらいのチップでよいが、長距離ならいくらくらい払ったらいいのだ?
途中町など無いから両替できる可能性は極めてひくい。この現金で食費・チップ・場合によっては宿泊費が足りるのか?
しかもバスならふんぞり返ってよいがヒッチは片身が狭いし。
まじめに考え出したら憂鬱になった。
それでも景色はいいので気分はよかった。
羊を飼っている牧場もあった。
しかし、ベッドタウンを過ぎたら車は本当に来なくなった。焦ってきた。
すでに12時半を超えていた。1時間も歩いたのか。風景を楽しみながら歩くのもいいがこれではどんどん時間が経ってしまう。
しかもこの写真の少し先で舗装道路が切れて未舗装になり急激に歩きにくくなった。
もう遊びはこれまでだ。立ち止まって本格的にヒッチ開始せねば。
とそこへミニバスが走ってきた。おお! 長距離バスは無くてもちゃんとミニバスは走っているではないか!
このバスどこへ行くんだろうか。せめて南北道と交差するところ(100km先やが)まで行ってくれたら助かるな。
手をあげてバスを止めて運転手に「バリ・ローチェ?」と聞いたら、途中までしか行かないがまあ乗れという素振り。
先客はおっちゃんとおばちゃんの2名だけ。
バスは小石をガンガン飛ばし砂ボコリを上げつつたくましく走り出した。
ミニバスは未舗装道をたくましく走る。
・・と思ったのもつかの間。たったの10分でバスはある分岐点で止まった。このバスは分岐を外れて左へ行くのだ!
そうか、単なる脇道の小集落へ行くだけのミニバスか・・ ま、まだ先は長いな。
金を払おうとしたら運転手は笑顔で「いらないいらない」という仕草をした。他の2人の客も笑顔で送り出してくれた。「バリ・ローチェまでヒッチがんばりな」という感じだった。
で道路の方を指差して何か言っている。見るとタクシーが追い越して行こうとしていた。「早くあれを捕まえろ」と言っているのだ。
タクシーなら金がかかるやろ? と思いながらも礼を言ってあわててタクシーを止めた。
ミニバスは左手への方へ走り去った。
ともかくタクシーの助手席に乗り込んだ。どこへ行くところなんだろう?
言葉が全く通じないから会話は無かったが。
それにしてもほかに車など全然行き合わない。
湖があった。タクシー車窓より。
未舗装道を疾走する。
荒れた大地に流れるせせらぎを渡る。
しばらく行くと周囲が開け、広大な大地が現れた。すごい!
30分近く走ってごく小さな集落に来た。何やらゲートが見える。 ・・そうか、国境だ。
国境があることをすっかり忘れていた。
そしてタクシーはここまでだった。タクシーを待ってる人がいた。迎えのタクシーだったんだな。
運ちゃんは具体的に金を要求するそぶりは無かったので、多少チップを渡したら満足そうだった。
タクシーは客を乗せるとすぐにコジャイケ方面へ戻っていった。
待っていた客を乗せるタクシー。
さて、一人になった自分は出国の手続きにイミグレに入った。パスポートや航空券など見せて手続きをする。
手続きする人はラテン顔の若い兄ちゃんだった。英語も話せる。
左の普通の顔写真のは行方不明者、右下の邪悪そうな顔写真のは指名手配者だろう。
ところで久々に英語の話せる人物に出会ったこともあって、自分はアルゼンチン側のバス事情などちょっと聞いてみた。
自分の置かれている状況が説明しやすいように、航空券の5月3日サンチアゴ発というところを見せて聞いてみた。
アルゼンチンに入ってもバスは非常に少ないというようなことを言ってた。やはり予想どおりだな。しょうがない、ずっとヒッチだ。
ただ、ここではアルゼンチンへ行く車は全て一旦停車して手続きするので車を拾いやすいかなと思った。「アルゼンチンへ抜けて行く車もいるんだろう?」と聞いたら”YES”だった。
また、「コジャイケから車で30分ほどのバルマセダに空港があるからそこへ行けば飛行機に乗れるのでは?」とのこと。・・空港があるのか? だがこんなド田舎でどうせ近距離のセスナでしかも週に数便とかだろうと思った。歩き方にも載ってないし。
わざわざコジャイケに戻ってバルマセダの空港に行ってダメだったらショックはでかい。
「でも多分毎日飛んでないと思うのでやめておく」と答えておいた。
兄ちゃんに礼を言って自分はゲートの少し先でチリ側からやって来る車を待つことにした。そこから見るアルゼンチン側の大地は広かった。正確には国境まではまだ数kmあるとのことだったが。
ほどなくアルゼンチン側から大型トレーラーが来て手続きを始めた。当然逆行き(アルゼンチン→チリ)のもいるだろう。
待ってまだほんの数分だったか。やにわにさっきの兄ちゃんが手招きしている。
行ってみると、「今電話して聞いたらサンチアゴ行きの飛行機が今日2便、明日も2便ある。今日の2便目ならまだ間に合う」とのこと。
耳を疑った。こんな田舎からサンチアゴ直行便がしかも毎日あるなどとは・・
もし今日飛んだとしたら、さっきまでの”ギリギリ間に合うかどうかの瀬戸際”から一気にサンチアゴで2日間の余裕が生じるのである。
実に拍子抜けした。
少し考えた。このままヒッチした場合の大変な苦労が思われた。しかし敢えてそれに挑戦しようという闘争心とまだ見ぬアルゼンチンの大地への強い憧れもあった。
このまま一気にサンチアゴへ戻ってはあっけ無さ過ぎる。もちろんアルゼンチンの大地を一度も見れることは無いのだ。
だが、3日の飛行機には絶対乗り遅れるわけにはいかない。莫大な追加料金と・・それに翌日の便に空きがあるとも限らない。会社でも大変なひんしゅくである。
そして・・ひ弱いことに自分は挑戦をあきらめることにした。おとなしくコジャイケに戻って飛行機に乗るという楽で安全な選択をしたのだ。
そのままヒッチを続けたらかなり苦労しただろうが結局は何とかなったやろうから。
こうして一か八かの大冒険はあっけなく幕を降ろし、一旦押された出国のスタンプには無効印が押されるとこになったのである。
で、イミグレ兄ちゃんはいつの間にかトラックの運ちゃんに自分をコジャイケまで送り届けることまで手配してくれていた。
トラック運ちゃんはイミグレの兄ちゃんと顔見知りのようだったが荷物は一応調べられていた。イミグレにはもう一人年配の係員もいた。
それでその間自分は少し歩き回って写真を撮った。
イミグレの横のコバンガロー風の建物群。職員詰め所なのか一応住民が住んでいるのかわからない。ここは一応「コジャイケ・アルト」という地名であるらしい。
荷物検査を受けているトラック。向こうがアルゼンチン側である。
チリ第]T州アイセン州を表す看板。
お地蔵さんか道祖神のようなものか?
ペットの羊が1頭。のんびりしていた。
イミグレ全景
待っている間にチリ側からアルゼンチン側へ行く車が2台来た。待てばいるもんなんだな。
ただしこの2台は結構満席近かったので、もし乗せてもらったとしても、ものすごく肩身が狭かったやろうが。
イミグレから見たアルゼンチン方面の大地。とても広かった。
この先で一体何が自分を待ち受けていたのだろうか。 本当にメーデーが恨めしい。
さて、検査のために出した荷物をトラックの荷台に戻すのを手伝わされたりして、出発はかなり遅くなった。
ここに着いたのは1時半ごろだったのにすでに2時45分ごろになっていた。
トラックの高い運転席の後ろの仮眠ベッドに腰掛けて出発した。トッラクは運ちゃんともう一人相棒が乗っていた。
トラックは爆走する。いや、別にそれほど飛ばしていないのだが。
ここはさっきバスを拾ったところ。このほんの少し先から舗装道になる。
輪っぱを握る運ちゃん。
別れを告げたはずのコジャイケに再び舞い戻ってきた。
運ちゃんは親切なことに、コジャイケの知人のところに寄ってバルマセダ行きのバスのことを知人に聞いてくれた。
そのバスもメーデーで休みなのか、本数が少ないのか知らんが、タクシーしか無いようなことを言った。
この運ちゃんも英語は話せないが英語の数字だけは通じた。
別れ際に少しチップをあげると喜んでいた。まあ荷物入れを手伝ったこともあるので渡さなくてもよかったんだろうが。
舞い戻ってきたコジャイケ。
さて、イミグレ兄ちゃんは、急げばまだ今日の2便目に間に合うとか言ってたがそこまで急ぐ必要は無かった。
何しろサンチアゴ直行便があるので、明日飛んでもまだ1日余裕があるのである。
せっかくここまで来たんだから。
近くにあったコジャイケ病院。立派である。ここでトイレだけ借りた。
近くのベンチに座って朝ガソリンスタンドで買ったホットドックを食べて一息ついた。
この町の循環バスだと思う。
ミニバスは多分個人経営なんだろう。みな色が違う。プエルト・モンでもそうだった。
さて、取り敢えずバルマセダ空港に直接行って自分で時間を確かめよう。電話で聞いてくれたんだから間違い無いと思うが。
時間を確認したらまたここに戻って来て今日はマシなホテルに泊まるか。
タクシーを拾って「バルマセダ?」と聞いたら「1時間かかる。15,000ペソ(2700円)だ」とのこと。そんな遠いのか。
ちょっと考えることにして断った。
片道2700円もかかるんなら時間を見に行くだけで往復5000円以上は痛いな・・よし、今日はそのバルマセダというところにそのまま泊まろう。
田舎町か知らんが空港があるから泊まるところくらいあるだろう。
で次に捕まえたタクシーに聞いたら13500ペソ(2400円)とのことだったので乗ることにした。(さっきの運ちゃんに書いてもらった15,000ペソという文字を見てそれより少し安く言ったんだと思う)
コジャケ・アルトはコジャイケからまっすぐ東だったがバルマセダは南東に当たる。さっきと違う方向へタクシーは走り出した。
今度こそ、さらばコジャイケ・・
運ちゃんはわりと愛想がよくて英語も少しだが話せて苦労しながらいろいろ話をした。長距離客を捕まえて少し上機嫌だったのかも知れんが。
ほんの数分走ると右手にきれいな平原と山並みが見えた。
これはコジャイケからもよく見えた急峻な岩山。この岩山のふもとを巻いて南東へ行く。
運ちゃんいわく「Mt.マカイ」とのこと。
小さな湖。運いわく「フォイシック湖」とのこと。
進むにつれて人工物が無くなりきれいな平原が現れた。
滝があった。わざわざ止まってくれた。それほど高くは無いがきれいである。
「エル・サルト滝」とのこと。
運ちゃんいわく「Mt.ガレラ」。
「Mt.ガレラ」
あんまりきれいなので一度止まってもらって写真を撮った。
運ちゃんはこの平原のことを「パンパ」だと言った。パンパとはアルゼンチン中央部の平原の穀倉地帯のことのはずだがここもその端にあたるんだろうか。
運ちゃんはまた、「ヒネラル・カレラ湖には行ったか? とてもきれいな湖だ」と言っていた。
後で買った地図で知ったがアルゼンチンとチリにまたがる大きな湖である。
夕暮れ近い地平線に向かって一本道を下っていく! 本当に広くてきれいだ。
アルゼンチンへ抜けていたらこういう風景を延々と楽しめたんだろうか・・
バルマセダまでもう少し・・ 運ちゃんは「バルマセダはとても風の強い町だ」と言っていた。
やがてバルマセダの町が現れた。・・大平原の中のものすごい田舎町だった。開拓村のような。
その町と道路を反対が空港であった。
空港の入り口は町を少しだけ通り過ぎたところにあった。
ホテルがあるのか不安になったが空港のすぐ手前の看板に「空港・ホテル」と書いていたので安心した。
最終便が去って人気の無くなった空港の小さなターミナル前で降りて少しチップを足して別れを告げた。
さて、ターミナルに入ると・・沖縄の離島の空港を少し大きくした程度のターミナルだが人気が無くて暗い!
やっと職員兄ちゃんを見つけて聞いたら「明日もあさってもプエルト・モン経由サンチアゴ行きが12:10の1便ある。月曜日には2便ある」とのこと。
イミグレの兄ちゃんは明日も2便あると言っていたが・・ しかしさすが空港、英語が通じる(自分と同じくらいのレベルであるが)。
ともかく飛行機があるのがわかってよかった。
でホテルを尋ねたら「すぐ前にポリスがあるからそこで聞け」とのこと。さっきホテルと書いてたのに廃業したのか??
また18:00にこのターミナルは職員が引き上げて施錠するとのこと。もう17:40だった。危ない危ない。
空港ターミナル全景。もう薄暗くなってきた。それにしても本当に風が強かった。
左端に見えるのがポリス。背後はすぐバルマセダの町がある。
さて、ポリスへ行くと英語が全くダメだった。ジェスチャー交じりでホテルがあるかどうか聞くと「ホテルは無いが泊まるだけならできる」とのこと。
もうそれしか無い。泊まれるだけマシだ。無かったらタクシーでも呼んでもらってまたコジャイケに戻るしかなくなる。
さっきの写真の左の続き。この写真の少し右がポリス。3人の元気な子供が平原を走っていた。これから家に戻るんだろう。
もっと明るくて望遠でもあればいい写真が撮れる場面である。
一応空港前だからか観光看板がポツンと立っていた。湖が多い!
上のほうの黒いところがコジャイケ。そこからまっすぐ右(東)へ行くとイミグレのあったコジャイケ・アルト。
コジャイケから右下(南東)に行って太線が終わる点がバルマセダである。
さて、ポリスに聞いたとおり道を少しコジャイケ側へ歩いて数百m行って脇道を右に折れてすぐにその建物があった。
普通の平屋で、レストランをかねているようだが真っ暗だった。不安になってノックしたらおばちゃんが出てきた。
泊まれるか聞いたら笑顔でうなづいた。取り敢えずよかった。
敷地内のすぐ隣になある離れに案内された。
離れには部屋が3つあってそのうちの1つ。今日もまた質素な部屋だ。
晩飯は何時がいいか聞いておばちゃんは母屋に帰っていった。もちろん客は自分一人である。
結局、1泊目のテムコのB&B以外は、2・3泊目はモンの安ホテル、4泊目は船のタコ部屋、5泊目はコジャイケの質素なゲストハウス、そして今夜はバルマセダの質素なゲストハウスである。わざとでは無いがものすごく安あがりで質素な宿泊生活である。
だが、ここはボイラ式のシュワーでちゃんと湯が出た。
日が落ちるとやはり寒い。しばらくすると、おばちゃんは中学生くらいの娘を伴って薪のストーブを炊きに来てくれた。
薪のストーブは初めて見た気がする。
自分が指定した8時に母屋の小さなレストランへ食事に行った。
ほかに客は誰もいないが一応レストランでもあってちゃんとコース料理になっていて食べ終わったころに次の品を持ってきてくれた。
とてもおいしかった。
隣の部屋では一家そろって夕食中のようだった。ちらっと見えたらお父さんとさっきの娘がいた。
最後にコーヒーを飲んで夜に飲むファンタももらった。
食後に宿泊料を前払いで要求されたが、部屋代5000ペソ+夕食代2500ペソ+飲み物1200ペソ=合計1550円と泣けるほど安かった。
部屋に戻ってゆっくりした。
明日は飛行機でサンチアゴに戻る。これまでずっと今後の行程のやりくりを考えていたがもう考える必要は無い。
なんだか気持ちにゆとりがあった。
それにしてもバスが無いことに気づいて焦りまくってヒッチを決意し、国境まで行って飛行機があることを教えられてコジャイケに戻って・・
激しい日だった。
この旅に起・承・転・結というものがあるとすれば、この日は転・結が一気に起こった日といえるかも知れない。