5月 3日(土)(9日目)コジャイケからサンチアゴへ
朝7:30過ぎに目覚ましとモーニングコールで起きた。
飛行機に乗るので寝坊したら大変だ
窓から見たら朝ぼらけで人通りは全く無かった。寒いこの地方では朝は遅い。
昨日夜景を撮ったオレンジ色の灯がまだきれいに残っていた。
撮影しようと思って洗面を済ませて戻って来たらもうほとんど消えていた。
ちょうど灯が消える時間帯だったか。 間一髪タイミングを逃してしまった。
窓から見た風景。残念ながら向こうのオレンジの灯はもう消えていた。
人通りなど全くない。
なんと部屋まで朝食を届けてくれる。滅多に経験したことない。とてもリッチな気分。
さて、実は空港までの送りマイクロバスがあるようで、昨日ホテルのフロントに聞いたこともあってホテルへ来るように予約してくれたようだ。
おっちゃんだけ英語が通じたので助かった。
バスは10:15に来るらしく、まだ少し時間があったので歩いて今度こそ最後になるコジャイケを撮った。
9時半を過ぎているが全く人通りが無い。土曜日ということもある。
セントロにある公園。ここも人影は無い。
セントロ付近の教会。突如鐘が鳴った。10時の鐘である。
公園近くのみやげ物店も数件がやっと店を開けたところだった。ここでウールの靴下と手袋など買った。
ホテルの前にロングバンが来てバスターミナルや民家などで客を拾いつつ空港へ向けて走り出した。
もうこの道の素晴らしい風景もさすがに少し飽きた感がある・・・
それでも紛れも無くきれいなのだが。
天気がイマイチだった。小雨が少し混じった。
車で自由に走ったNZを思い出していた。またこのような大平原を自分で運転して走ってみたい衝動に駆られた。
この川を渡るとバルマセダはもう目と鼻の先である。
さて、空港へ着いたがこの送迎はランチリ航空のサービスなんだろうか? そのまま降りてターミナルに去っていく客もいたので自分もそのまま歩いて行こうとした。
だが、ふと振り返るとお金を払っている客もいる。自分もあわてて戻って払ったが。
何も呼び止められなかったし。ほんまに商売っ気無いな。
ターミナルに着いた。マイカーなどで来たと思うが、すでに結構たくさんの先客がいた。
搭乗手続きをする係員は3人いたが、たまたま順番が昨日親切にしてくれたカレンに当たった。
自分のことを覚えていて微笑みながら「・・・It's your last fright・・」とかなんとか言った。「(昨日は迷っていたが)やっとほんとに行くのね」というような意味だろうか。
幸い窓側の席が取れた。
ここで驚いたことに日本人4人組を見かけた。チリに来てから日本人に会ったのはプエルト・モンのバックパッカー以来2組目である。
ジャケットなどの服装だが4人ともおっちゃんでスーツケース持ちだ。
おっちゃん4人でどう考えても旅行では無い気がする。チャカブーコの港に日本へミネラルを運ぶ貨物船が止まっていたこともあり、そのへんのビジネスマンだろうか。
しかしゴールデンウイークの最中だが。特に話はしなかったのでよくわからんが。
いよいよ搭乗が始まったので自分も並んだ。
人手の少ない田舎空港でもあり、さっきカウンターで発券手続きをしていた係員がこちらに移動してきていた。
カレンもいたので「チャオ」と別れを告げた。
こんな田舎空港だから小型セスナ機だと思っていた。またそれを期待していた。
ところが飛行機は小型ジェット機だった。意外だ。
かなり満員に近い。機材はA−320。ボーイング737と同じくらいでジェット機では最小サイズである。
自分の席は一番後ろだった。隣は誰もいない。
12:10、定刻どおり離陸した。今度こそ本当に中パタゴニアを離れた。
あいにく小雨交じりであったが大平原を上から見ることができた。
間も無く飛行機は暑い雲に突入した。
本当に大平原だ
13時頃、プエルト・モン空港に近づく。ここも平らな土地に森と牧草地がきれいだ。
・・モンへは4月29日の夜にプエルト・エデン号で去って以来4日ぶりに戻ってきた。戻ってくるとは思ってなかった。
半分以上の客が降りていった。入れ違いに同じ数くらいの客が乗ってきた。
機内誌のランチリ航空の路線図。左はチリ北部で右が南部。
これを見て初めて気がついた。
バルマセダ空港は中パタゴニアの玄関口なのだった。たまたま広い平原のあるバルマセダという田舎町に建設しただけで、プエルト・アイセンやコジャイケや周辺小都市の住民が広く利用するのだ。
だから毎日サンチアゴ便があるし、ちゃんとジェット機なのだ。
中パタゴニアは観光地としては中途半端なので、地球の歩き方に載っていないだけだったのである。
客入れ替え、給油、荷物積み替えを終えて再び離陸。40分近く止まっていた。
いよいよサンチアゴへ戻る。長く続く一本道は高速道路だろう。
短いフライトなのに、バルマセダ〜モンで軽食、モン〜サンチアゴで食事が出る。
まあ通しで乗る客の方が少ないのであるが。
これはおもしろいと思った。灌漑地と自然地の境界である。北へ行くほど乾燥してくるので、何もしない自然のままでは左のように乾燥しているのだ。
灌漑して水をやって初めて右のような農耕地になるのだろう。
いよいよサンチアゴに到着。
15時ちょっと過ぎに到着した。
国内線ターミナルに着く。
飛行機が出るまであと5時間。2時間前までに戻った方がいいし、市街往復も考えるとそれほど時間があるわけでは無いが、空港にいてもしょうがないのでバスに乗ってまた市街へ行くことにした。
空港バスはハイウェイを飛ばす。
市街に近づいた。
バス車窓より、国鉄アラメダ中央駅前。このへんは本当に賑やかで活気がある。
さてバスはロス・エロエス駅前に着いた。2回目なので全くすんなりで気後れが無い。
少ない時間で唯一行こうと決めたのは、サンクリストパルの丘。市街地から約300m高い丘で展望がきれいらしい。
地下鉄でロス・エロエスから8駅東の、プエルト・デ・バルディビアまで行き、丘まで歩こうとした。
バルディビア駅前とここからマボチョ川(サンチアゴ市外を貫く結構大きな川)へ向かう並木道。
マボチョ川に出たが歩き方の地図に載ってる橋は工事中で歩いて遠回りしたらえらく遠い。したがってタクシーを拾うことにした。
なかなか来なかったが10分くらい待ってやっと捕まえた。
サンクリストパルの丘の東側の玄関。わかりづらいが向こうに夕陽に赤く照らされた山並みがきれいだ。
テレッフェリコというゴンドラで頂上まで行く。
チケット。途中駅があって一区間500ペソで計1000ペソ。右は後で乗るケーブルカーのチケット。
東〜南の景色。高層ビル群は新市街である。
夕陽がきれいだった。
南西の眺め
もうすぐ頂上。
頂上に着いたのはもう17:30だった。大きなマリア像がある。
頂上から市街が一望できた。
北西の市街地。こっちは住宅地のようでビルがほとんど無い。
きれいだった。
ここは展望がよくて多くの人が和んでいた。ほとんどがチリ人の国内旅行者や近郊ファミリーに違いないが。
こっちは南西方向。旧市街地方面である。
帰りは西側へケーブル鉄道で下る。
こういうケーブル鉄道はサンチアゴに数箇所あるらしい。勾配がすごいのが名物である。ここのは観光用であるが他は生活用でマニアックであるとのこと。
どこにあるのか知らんが。
家族連れやカップルがほとんど。
途中駅もある。
下界の駅に到着。
下付近には動物園もあるためかとても賑やかだった。
リャマかアルパカに客を乗せて記念撮影をするサービス。
さて、早く空港へ戻らないといけない。ここから地下鉄の駅まで歩くと時間がかかりそうだ。これは思い切ってタクシーで一気にロス・エロエスへ戻ろう。
であわてたのがいけなかった。歩行者天国のすぐわきまで車を乗り入れてキョロキョロとカモを探してるタクシーを拾ってしまった。
”人が大勢集まるところで巣を張ってキョロキョロしているタクシー”など冷静に考えたら一番危険である。
このタクシー、若くてノリ軽いのヘンな運転手で走り出してすぐにおばあさんを引きそうになるし、「日本のコインをくれ」などと厚かましく頼んでくるし、それで目的地近くで明らかに遠回りし始めたので、「俺は急いでるんだ」と怒ってそこまでのメーターの金(3000ペソ)を払ってさっさと降りた。
何より時間が無い時にこういうことされるのは痛い。
タクシーより。夕陽が異常なほどにきれいだった。
さて、中途半端に降りたのでロス・エロエスまではまだ少し距離がある。
思いもかけず走ってきた市街バスに飛び乗ることになった。チケットは340ペソ(60円)。
大通り1本なので系統を選ぶなどという難しさは無かった。乗ったのはほんの数分だが歩いたら結構かかっただろう。
ロス・エロエスに着くと運良くすぐ空港バスが発車(18:30)するところだった。
さて、空港に着いたのはもう19時少し過ぎだった。出発まであと1時間20分。まあ大丈夫だが国際線なのでギリギリ感がある。
成田まで主な荷物を預けて身軽になった。
出発口。もう夜で便数も少ないためか出国手続きがすんなりいったが、混んでたら焦るところだ。
自分は旅ではいつも時間ギリギリになる。なにかもったいない気がして全てに関してギリギリまで見てしまうのだ。
免税店はきれいだった。もうこの時間では閑散としていたが。
たまたま止まっていたアメリカ航空機。これに乗るわけでない。
アメリカからはデルタとアメリカンの2社が乗り入れている。格安チケットの金額はアメリカン航空の方が数万円高かったのでデルタにしたが。
アトランタ行き飛行機は定刻どおり20:40に出発した。