10月21日(火)(4日目) サファリ2日目(ンゴロンゴロ自然保護区)
コックが朝飯を用意してくれた。
自分のテント。久々なので熟睡というわけにはいかなかった。夜中何回か目が覚めた気がする。
テントはサファリ会社のもの。このキャンプ場にも貸しテントがあるのかも知れないが。
奥のほうまでキャンプサイトはある。正面のテントは欧米人達のテント。
これが朝飯。なかなか豪華である。青いテーブルクロスを敷いてくれてる。これもサファリ会社がすべて用意したもの。
種まで一緒に食べたら吐くほどまずかった。種は出すものらしい。
朝8時過ぎにムトワンプを出発。この辺りにプライマリースクール(小学校)がある。小学生が大勢通学していた。ちゃんと白シャツに紺のズボン・スカートの制服を着たのもいれば私服っぽいのもいた気がする。
昨日行ったマニヤラ湖入口を通過してはるか西へ向かう。グレートリフトバレー(大地溝帯)の断崖を登っていくと眼下にマニヤラ湖とその周辺のブッシュ・平原が見渡せた。
マニヤラ湖はグレートリフトバレーの底にあるのだ。行く前はグレートリフトバレーは大き目の「谷」くらいに思っていたのだが実際は幅数十qもあって、片方の断崖から向こうの断崖が見えるような代物では無いのである。
グレートリフトバレーの断崖をつづら折に登りきるとまた果てしないなだらかな大地になった。
日本の鴻池組による舗装工事中。現地の人は「コノイケ」という。 アルーシャからムトワンプを過ぎてンゴロンゴロ方面へ舗装工事を延長中である。
数年前まではムトワンプあたりも未舗装であったようだ。日本のODAで行われているんだろう。重機はすべて日本製である。
「コノイケはずいぶん昔からタンザニア各地で工事をしている」とか言っていた。 ムトワンプに工事事務所があって日本人現場監督もいるとのこと。
ここからしばらくで未舗装になったが、乗り心地が一気に悪くなった。車がガタガタ悲鳴をあげている。
未舗装と舗装の差が雲泥の差であることがよくわかった。舗装工事というものの地元への恩恵はものすごいものであろう。
カラトゥーの町
ムトワンプから約40分でカラトゥーの町。ムトワンプより大きな町である気がする。
ジャクソン運転手が車の不調を訴えて修理工場に寄った。ホイールを止めているネジが緩んできたようだ。
その後ガソリンスタンドへ。隣のもサファリカーか?
そばの風景。カーテンの露店もあった。ここにいるとカーテンが埃まみれになると思うのだが。
ンゴロンゴロ自然保護区の入口。ムトワンプを出てから1時間半弱で着いた。
世界遺産に指定されているここはさすがにマニヤラ湖と比べて断然観光客が多かった。みんな欧米人である。
ミニ資料館。ンゴロンゴロクレーターのジオラマもある。
ンゴロンゴロクレーターはカルデラなのである。東西19q、南北1qの大カルデラで日本の阿蘇カルデラに次いで世界第二の規模である。
ただし阿蘇カルデラ内には新しい火山群が存在するのに比して、ンゴロンゴロはクレーター内が完全な平原である。
クレーターの外輪山の標高は2,300〜2,400mで、内部は標高1,800mくらいで600mくらい差がある。
内部にはキリンを除く東アフリカのほぼすべての種類の野生動物がいて、ここで生まれた動物はほぼここで一生を過ごす。
つまりこのクレーターだけで食物連鎖が成り立っているのであり、その特異性から世界遺産に指定されている。
ジャクソン運転手は、ここが国立公園でないのは先住民のマサイの生活が理由だと言っていた。マサイはここに草を食べさせに時々牛を連れて来るのである。
国立公園に指定するとそういう行為を禁止しなくてはならなくなるのだろう。
資料館の売店で地図と絵葉書を買った。
地図にはドライシーズン(5月中旬〜11月下旬)とウェットシーズン(11月下旬〜5月中旬)の絵地図が描いてあった。
3月下旬〜5月の大雨季が終わって10〜11月の小雨季まではドライシーズンなのである。
小雨季が終わると緑豊かなウェットシーズンに入る。
下調べをろくろくしていなかったので、そのことをここで初めて知った。どうりドライシースンので今は平原が黄色っぽいわけである。
どうせなら緑豊かな平原を見たかったものである。
ただし雨季の真っ只中だと道がひどくぬかるんで行動範囲が狭くなったりバスも止まったりするらしいが。
ドライシーズン(5月中旬〜11月下旬)
ウェットシーズン(11月下旬〜5月中旬)
外輪山を登りきって標高2216mにあるビューポイント。まさに絶景である。正面左に塩湖、右手の緑の部分がピクニックサイトのある池などの部分である。
もうすぐに下へ降りるのかと思ったら外輪山を時計回りに三分の一周くらい回らないと降りれない。クレーターに下りることができる道は2本だけなのである。
(あと1本はクレーターの北東側。)
外輪山の外側の工程が結構長い。降り口までさらに50分もかかるのであるが・・
一部分は霧に覆われている箇所もあった。
またゾウが出た。昨日のようだ。だがこのゾウは昨日と違って怒っているわけでないようだった。たまたま道路をこっちに向かって歩いているだけ(?)のようだった。
それでも怒らせないように車はバックするしか無いのであるが。
しばらくしてやっと草むらに入った。
外輪山の外側のなだらかな風景。眼下にはマサイの集落も見える。
マサイの家屋。
右奥のはるか先にはセレゲンディに続く大平原が広がっているのが見えた。今回行けないのは残念なことである。
やっと降り口に来た。
ここにもチェックポイントがある。
ここから見た塩湖。
いよいよ降りていく。とてもいい眺めである。
しかしひどいガタガタ道で勾配もきつい。ここは下り専用道路であるが、上るのはこのランクルでも無理ではなかろうか。
一瞬野生かと思ったらマサイが連れきていた牛であった。
降りきってすぐ右に湿地がある。ここにもマサイが牛に水を飲ませていた。何気に写真を撮ったのだが、マサイの子供が目ざと見つけたらしくこっちへ歩いて来て金を請求された。親らしきもがは向こうにいたので、「勝手に撮られたんだから金を要求してきなさい」と子供に命じたのだろう。
マサイが視力がいいことと、ただでは写真は撮らせないということを再認識させられた。
降りてきた道を振り返る。この辺りにはシマウマやトムソンガセルがいた。
ハーテビースト(レイヨウ科)?
何だかわからないが猛禽類。
シマウマ
茶色いのはまだ若い個体。
ブチハイエナ。車の音を聞いて一瞬「なんじゃい?」という感じで顔だけこっちを向いたがすぐに無関心ぽく寝てしまった。
ハイエナは砂地が好きなようでこの後も路肩によく寝ていた。
ジャッカルも見たが、彼はとても注意深くて車から遠ざかるので撮れなかった。
バッファロー
ヒッポプールの全景
カバが集まって浮いて盛んに水を吹いている。時々グルンと回転するのでおもしろい。
向こうにもいる。
またブチハイエナ。
ダチョウ
ピクニックサイトにやってきた。ここでランチを食べる。風が強かった。
頭上には無数の猛禽類が弁当を狙っている。だから車内で食べないと危険らしい。
ここにもカバがいる。
なんかサギみたいな鳥。
ダチョウ。
別のサファリカーとすれ違ったとき、この水辺にライオンがいたとの情報をもらったのでやって来たのだが、発見できなかった。
よくわからないが猛禽類。白くて太い足。
ヌーとシマウマが混じっている。
ヌー。車が来たのであわてて横断していった。別に人を恐れているわけでないのだがさすがに車に轢かれるかもという恐怖心はある。
真ん中の広い平原。やはり緑豊かなウェットシーズンに来たほうがほよどきれいなんだろう・・・
はるか向こうをゆうゆうと2頭のゾウが行く。やはりゾウは絵になる。
また別の場所にいた2頭のゾウ。
ここはクレーターからの上り口に近いレライの森。ここにもう1箇所のピクニックサイトがあってたくさんの車が止まっていた。
クレーターから外輪山への登りに挑む。
ずっと天井から遠ざかるンゴロンゴロクレーターを眺めていた。風景としてもいい眺めである。
背が高くて特徴的なサボテンのような植物。(ユーフォルビア・インゲンス?)
ハイエースが路肩に落ちて立ち往生していた。その後ろには小学校の遠足バスが通過できないから後ろの車が全てつかえることとなった。
この後サファリカーの運転手達が協力して脱出させていた。
帰りにまたカラトゥーのガソリンスタンドで立ち寄って車の調子を見てもらってていた。
このガソリンスタンドの奥は欧米人向けのリゾートになっていて、欧米人が楽しそうにやっていた。
カラトゥーなど日本のガイドには全く出てこない。やはりここは欧米人需要が圧倒的に多いのである。
よくわからないが海外のガイドブック(ミシュランなど?)の方が世界各地のことを日本の本よりはるかに詳しく記載しているのではないだろうか。
これも何か木に咲く花。ピンクと黄色。砂埃でだいぶ煤けて見えるが。
車の調子が悪いのと今日一日の未舗装路運転の疲れもあってかジャクソン運転手は少々不機嫌だった。
さて、ムトワンプに戻ってコックが食事を作ってくれている間に通りに出て今日も燃えるような夕陽を撮った。
するとまた近所の出店の店主が何人も出てきてちょっと店を見ていけ見ていけ、ととてもしつこくて困った。
食事がまだできていなかったので、紅茶など飲みながくつろいだりした。
夜豪雨が降ってきた。乾季なのに珍しいことらしい。
そこでジャクソン運転手がこのキャンプ場のオーナー(欧米人おばちゃん)に話をつけて、テントでなくてバンガローの方を追加料金無しで使わせてくれた。
まあこのような豪雨ではしょうがないといったところかも知れない。
夜になるにつれて雨足も弱まったのだが。
ちなみにキャンプ場のシャワーは水しか出ないし時々断水になった。水源が細いようでたくさん使ってしまうとまた溜まるまで時間がかかるようであった。