10月24日(金)(7日目)セントラル・ライン編

  

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 目が覚めるとまだ列車は止まっていた。まだ真っ暗だったが周りの客がほとんどいなくなって静かだった。時計を見ると5時過ぎであった。
 荷台に大きな荷物を置いていた人もいたがその荷物もきれいになくなっていた。
 しかしまだ少し乗っている客もいるので乗り換えとかで取り残されたわけでも無さそうだ。
 ここはキゴマからの線路と合流するタボラかな・・・

 ここには結構長いこと止まるはず。

 それにしても大勢の客が降りて荷台から大きな荷物を降ろしたり騒然となったはずなのに気付かなかったとは・・不覚だ。
 通しで乗る客は少ないんだな。

 車内にいた車掌に聞いてみたら8時(だったと思う)に出発するからまだまだ時間があるとのこと。
 俺も降りてホームを少しだけブラブラした。
 前の方の3等車を少し見たら通路まで超満員であった・・・やはり3等には乗れんわ。
 乗っている2等車は編成の一番後ろなので前の方のホームの喧騒は届いて来ない。

  

 左側に別の列車が入ってきた。キゴマから来た列車か??

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 東の空が白みだした。

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 左の列車の屋根越しに日が昇る。

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 7時前ころ、突如車が逆方向へ進み出した。何事かと窓から見るとすぐ前の1等車1両の前で切り離されている。一瞬焦ったが他の客も乗ってるし何かあるんだろう。
 すると少し行って止まってスイッチバックして隣の線路に入った。
 そこにいた車両数両をつないでまた逆方向へ。これをつなぐためだったのか。
 再度スイッチバックして元の線路に戻って再び本体と合体した。

 なんの説明も無しにバックするからビックリした。ひょっとしたらスワヒリ語でなにか放送があったのが気がつかなかっただけかも知れない。

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 明るくなって再び客が乗り込んできた。元々乗っていた客が一時どこかへ行っていたのか全く新しい客なのかは知らない。
 そこは俺の席だ、とある客に指摘された。見ると硬券の裏側に座席指定がある。俺の券には無い。
 ・・そうかムワンザの切符を買った時に1時間前に来いと言ったのは座席指定を受けに来いという意味だったのか。
 駅員に指定の無い硬券を見せると本物の座席を教えてくれた。一応人数に数えられていることがわかって一安心した。
 ということは昨晩寝ていた時も誰かが「俺の席で寝てやがる」とブツブツ言いながら別の空席を探した人がいたのかも知れない。

  

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 8時前。もうすぐ出発。

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 満員で出発した。このような風景が続く。

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 朝食を食べに食堂車へ行ってみた。初めてである。
 すると結構な客がいた。団体というかほとんど知り合いのようで何やら盛り上がっていた。
 端の方に何とか空席を見つけて「朝食」を頼んだ。メニュー表があるわけでなかった。
 その団体はジュースだけ頼んでそこに居付いているようだ。3等の客か? 3等は窮屈なのでこっちに入り浸っているのだろうか。

 しかし注文して料理が出てきた時にどこかの駅に止まった。そして結構長く止まっていた。
 移り行く車窓を見ながらの食事というものをしたかったのに。結局食べ終わるまで止まったままだった。

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 食べ終わって写真を撮ったら、車掌に「めったやたらに(他人を?)撮るんじゃない」と言われた。
 やはり写真に対する考え方が日本とは明らかに違う。若い人はそうでも無いのかも知れないが。

    

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 1等車1両と3等車も2両ほど増結したようだ。結局前から3等車12両くらい、食堂車、1等車3両、2等車1両と荷物車2両、計20両近い堂々たる大編成となっていた。

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 13時前。KAZI-KAZI駅にて。実は結構よく止まるのであるがたいがいの駅はすぐに出る。ここは結構長く15分以上止まっていた。

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 名物ピーナッツ売りのおじいさん。一人ずつ試食にほんの一握り分をただでくれる。そして気に入ったら買ってくれというものである。
 有名でみなよく知っているのか先を争って買っていた。
 香ばしくてとてもおいしかった。
 それにしてもこのおじさんは列車公認の売り子なのか車内に1時間くらい乗っていた気がする。
 帰りは下り列車に乗るのだろうか。

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 こっちは進行右側。駅舎。

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 列車前方(左写真)と後方(右写真)

 

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 飼われている牛。

 

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 別の小さな駅。

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 空がとても青かった。それにしても車内は冷房はもちろん無いし窓を開けていてもあまり風が入って来ないので暑くてしょうがなかった。
 我慢の限界を超えた暑さだったのでお昼前から1等車の廊下にずっと立って開け放たれた大きな窓から移り行く景色を眺めていた。そこにいると風がたくさん入ってだいぶ暑さはマシだった。
 たまには座席に帰ったが。

 それにしても2等車で斜め前の座席にスーツの上着をちゃんと着たおじさんがいて全く驚愕させられた。
 俺はTシャツ1枚でも我慢できないのに。

 斜め後ろの席ではおじいさんが中学生くらいの女の子にしきりに何か語り聞かせていたが、その話の内容がよほどおもしろいのか女の子はずっとケラケラ笑っていた。この2人は同行者というわけでは無いらしかった。
 俺も座席の隣の人から話しかけられた。

 決して快適な車内ではないが、のんびりと気さくな雰囲気なのであった。

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ITIGIという駅には大勢の物売りがいた。圧巻である。
停車時間も長かった。様々なものを売っていた。

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 木製シャモジ、食べ物、飲み物、生活用品、ピーナッツ。いろいろ売っている。

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 他にマサイがヤリでライオンと闘っている木製の置き物もあった。地元の人でもそういう土産ものを買うということか。
 久々に遠路はるばる親兄弟や親戚に会いに行く人も多いのだろう。

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 窓越しにニワトリまで取引する。現に食堂車の隣の荷物室から「コッコッコッ」と聞こえていた。

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 これが駅舎。10分以上止まっていた。

  

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 のどかな集落。

   

 車内の暑さもピークを迎えたころ、先ほどのスーツ姿のおじさんもさすがに上着だけは脱いでいた。

   

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 向こうに風車が見える。水汲み用だろうか。

 

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 15時10分ころMANYUNI駅到着。正面の人は板に生活物資をディスプレイして売っている。

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 ここで少年から例のサモサを買って食べた。これは本当においしい。
 それとボトル入りの飲み物も買って飲んだ。

 隣の列車は3等車だけ数両と荷物車数両の編成の下等列車のようだ。こういうのも走っているのか。

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 これは駅舎

 

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 地形に変化が出てきた。平原からこのような岩のある起伏の地形になってきた。

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 そして下り1.8%前後の急勾配を下る。カーブもきつい。列車は注意深くスピードを落として徐行する。
 グレートリフトバレーの底へ向かって降りていくのである。
 グレートリフトバレーはタンザニアを南北に縦断しているのである。

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 グレートリフトバレーの底にあたる風景。ここは標高も割りと低いので他の土地に比べて暑いのだそうだ。
 地図を見たら谷の幅は50kmくらいあるようだ。

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 15:50ごろ。サランダ駅到着。

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 キロポストは568kmとある。もちろんダルエスサラームまでの距離であろう。

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 進行左側で露店を始める者がいた。

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 なんか反対側が騒々しいと思って進行右側に行ってみて驚いた。
 なんとたくさんの露店が出ていることか! 圧巻であった。

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 みな車外へ出てガランとした車内。ここは食事ポイントなのか・・

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 延々と続くあらゆる食べ物の露店が続いていてみなこぞって買い食いしていた。

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 最後尾まで行ってみた。

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 1本100シリングの焼き鳥。2本買って食ったがコリコリととてもおいしかった。写真を撮ったからということで300シリング取られたが。
 他にぶっかけメシも買って食べたが汽笛が鳴ったのであわてて途中で返して車内に戻った。

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 これがサランダの駅舎。停車時間はほぼ30分であった。ここはみな楽しみにするポイントなのだろう。

  

 さてまた1等車の廊下に立って風に吹かれて移り行く景色を眺めていると、おじさんに話しかけられた。1等車の客のようだった。
 なぜタンザニアに来たかとか楽しんでるかなどと話をした後いろいろ話して、経済や国際情勢の話題になった。
 さすが1等車の客だけあってかなりインテリなようだった。
 日本製品をとても褒めていた。また北朝鮮と日本の関係や自衛隊のイラク派遣などのことなどまで・・
 まあ「今は日本は平和主義である」ことはちゃんと強調しておいたが。
 親切なおじさんで、ミネラルオォーターが切れたから買うつもりとか言ったら新しいボトルを1本くれたりした。

 

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 リフトバレーの底をしばらく走ってまた標高を上げていく。

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 この辺りはバオバブの木がたくさんあった。

 

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 夕焼けに大地も家屋も赤く染まる。

 

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 列車に向かって歓声をあげて手を振る子供達。

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 夕暮れが訪れる。

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 小さな畑。なぜか畑というものを滅多に見なかった。

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 残照。

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 19時過ぎ、首都ドドマ着。ダルエスサラームが首都ではないのだ。だがドドマはあまり大きな町でも無い。

 さて、ここでポテトの玉子あえなど買い食いしていると、何やら放送があって人々が「ええ〜っ」という感じでため息をついていた。

 その時は別に気にもしていなかったのだが、さっき話をしたおじさんがやってきて。「さっきの放送で言っていたが、機関車が壊れたから別なのを手配するようだ。21時に取りあえず状況を放送するらしい」とさっきのアナウンスの解説を英語でしてくれた。

 そうだったのか・・・
 ちょっと待て・・この列車は定刻でも10時頃にダルエスサラームに付くはずが既にだいぶ遅れている。
 明日のダルエスサラーム発の飛行機は15:45発だ。駅から空港までも30分以上見ておく必要があるし。
 ドドマからはあと15時間半かかることになっているから。22時にここをを出発できたとしても飛行機には全然余裕が無い。やばい・・

 座席で放送を待ちながら善後策を考えた。今日のバスはもう終わっているはずなので明日の一番のダルエスサラーム行きバスに乗るのはどうか。
 7時発でダルエス到着は定刻で14時。それで空港へ行ったら14時半過ぎか・・・ バスが少しでも遅れたら本当にやばい。
 やはり夜間に少しでも移動しておく必要がある。すると・・タクシーしか無いのか!?
 まだ300km以上ある。一体タクシーでいくら払えばいいのだ? タクシー運転手の丸2日分くらいの収入を払う必要があるな・・・
 100ドルか200ドルか? 大体すぐに行ってくれるのか?

   

 そして21時になっても21時半になっても放送が無かった。
 放送さえ無いのに22時に列車が発車できるわけが無い。この時点で列車に乗り続ける可能性は無くなった。

 すると男が2人くらい乗り込んできて何か「・・ダルエスサラーム・・」とか言っている。23時にもう近かった頃だったろうか。

 俺が隣に座っている人にも少し相談していたのを聞いてきたのだろう、斜め前のスーツのおじさん(暑くても上着を着ていた人)が「ダルエスサラームまで臨時バスを運行するそうだ」と教えてくれた。

 礼を言うと迷わず客車を降りた。
 2泊3日の列車旅。終着までまっとうしたかったがしょうがない。飛行機に乗り遅れるわけにはいかない。

 

 マイクロバスの方へ行くと客が他に1人しかいなかった。
 満員になったら発車するようなことを言っていた。金額は6000シリング。最悪タクシーも覚悟していたので安いものだ。

 ・・しかし客が集まらない。
 おそらく1000人は下らないであろう乗客の中で時間に遅れたらマズい客は全然おらんのか!?
 結局30分くらいしてやっと満員(10数人)になって出発。

 目が覚めたら深夜にどっかの田舎町で止まって仮眠タイムのようだった。
 まあ間に合うんならいいのだが。

 このバスは最初は鉄道会社のかと思っていたらどうも違うようだ。列車故障を聞きつけた地元のバス会社が商売に来た・・そんな感じだった。

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 最後に見た列車。終点まで乗りたかった。時間に余裕があればこのトラブルも逆に楽しむ余裕くらいあったろうに・・・

 

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 臨時バスのチケット。下は早朝乗り換える先のバスチケット(25−26日編参照)

  

  

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